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子ども祝福式
◎2019年6月23日(日)礼拝

・花の日・子どもの日礼拝として、子どもと大人が
 共に礼拝を守ることができました。
・礼拝中、子ども祝福式が行われました。
・病と闘っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「その一輪が」使徒言行録5:12〜16 仲程愛美牧師

 聖霊に満たされた使徒たちの働きは民衆を驚かすものだった。多くのしるしと不思議な業により、人びとの「命」を生かした。聖書の記述からは大勢の人々が癒され、また主を信じる者とされたことが分かる。だがそこにはたった一つの、主との出会いがあり、各々が真に「生きる者」になる経験がいくつもあったに違いない。多くのしるしと業の背後に、どれだけの物語があったかを想像する。
 神は使徒を通して聖霊の働きにより、誰一人としてもれることなく「生きる者」として招かれた。「多くの」奇跡に込められた一つ一つの神の想い、まなざしは貴い。
 一輪の花は花束の前には見劣りするかも知れないが、花束は一輪一輪の花がなければ成り立たない。一輪咲いても花は花だ。
 その一輪に込められる神の計画のように、私たち一人一人も神に用いられる、託されていることを覚えたい。「命」を守り「生きる者」へと導く神の働きの小さな、しかし限りなく貴い担い手でありたい。
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本日の礼拝
◎2019年6月16日(日)礼拝

・父、子、聖霊を思い、三位一体礼拝を守ることができました。
・礼拝後、定例役員会がありました。
・病と闘っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「主の名を呼び求める者は」使徒言行録2:14〜21 金 鍾圭牧師

 五旬祭(ペンテコステ)の出来事を未だに信じようとしていない人々に、ペトロは彼らがよく知っている旧約聖書のヨエル書3章を引用し、起きた現象について説明している。
 ヨエル書の預言は次の4つから成る。1)聖霊の普遍的な授与「わたしの霊をすべての人に注ぐ」、2)福音の普遍的な宣言「彼らは預言する」、3)霊的な悟り「若者は幻を見、老人は夢を見る」、4)確証を与える証「天に不思議な業を、地に徴を示そう」。
 この預言の究極的な意味は、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」である。誰もが主のみ名を呼び求めるのであれば、人種・階級に拘らず、主によって救われる。
 ペンテコステは私たちに対する神の普遍的な救いの御業である。差別や不合理が蔓延している世の中に聖霊の臨在の出来事は、私たちに大きな意味をもたらしている。
 キリストの体である教会の聖徒として聖霊に満たされ、主の救いの喜びを交わりながら歩んでいきたい。
◎2019年6月9日(日)礼拝

・ペンテコステおめでとうございます!
 聖霊の豊かなお導きがありますように。
・6月にお生まれになった方々を覚えて、
 子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、CSスタッフ会がありました。


◎説教メモ「それぞれの言葉で」使徒言行録2:1〜4 仲程愛美牧師

 聖霊が弟子たちに降ると、人々はそれぞれの言葉で福音を耳にすることができた。「あなた」に伝えるために聖霊は、今も働いてくださっている。
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本日の礼拝
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ペンテコステ礼拝
◎2019年6月2日(日)礼拝

・1939年6月3日この地に主の教会が建てられ、80年になりました。
 今までの歩みに感謝し、これからも主の豊かなお導きがありますように。
・創立80周年記念として、堺清水橋教会の森田香代牧師をお招きし、
 子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、安田美穂子さんの創立80周年記念コンサートが行われました。
・病と闘っている友を覚えてお祈ります。
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本日の礼拝
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創立80周年記念礼拝
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森田香代牧師をお招きして
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記念写真撮影
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創立80周年コンサート
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記念クッキー
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記念映像
◎2019年5月26日(日)礼拝

・豊能地区の7教会(池田五月山、石橋、大阪のぞみ、豊中、梅花、
 箕面、在日大韓基督教会豊中第一復興)が各教会の先生をお招き、
 交換講壇として礼拝を守ることができました。
 石橋教会では豊中第一復興教会の朴 栄子牧師が来てくださいました。
・礼拝後、特別讃美歌練習、共育コア会ありました。
・うどん食堂後、朴栄子牧師による落語会(ミニ)が行われました。
・病と闘っている友を覚えてお祈ります。
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本日の礼拝
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朴栄子牧師の説教
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落語会(ミニ)
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特別讃美練習
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本日の礼拝
◎2019年5月19日(日)礼拝

・主の平和が訪れますように。
・病と闘っている友を覚えてお祈ります。
・週の初め、共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、チラシ配布、特別賛美の練習、定例役員会がありました。


◎説教メモ「友と呼ぶ存在」ヨハネによる福音書15:12〜17 仲程愛美牧師

 「私たちはイエスをとおして神を見ることができ、私たちにたいする神の見方を、イエスをとおして理解することができる。」漫画『ピーナッツ』の作者シュルツは語る。イエスを知ること、言葉・行動に触れることは、神を知ることに繋がっていく。
神と相まみえることはゆるされてないと考えられていた中で、イエスは弟子たちとの関係を「友」と表現した。人格的で対等な間柄の代名詞だ。
 イエスは率先して「友」になる歩みをされた。そして弟子たちに言われる、友となれと。弟子たち(私たち)が神の前に招かれている存在であることを強調された。「友と呼ぶ」というイエスの宣言は、新しい神と人間との関係を示したものだった。
「友達とはあなたの欠点を愛してくれる人のこと」と語るシュルツの言葉に、イエスが友と呼んだ意味の深さ、重さ、貴さを感じずにはいられない。そこには溢れんばかりの神の愛、私たちにたいする見方が現れているからだ。
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本日の礼拝
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お寿司パーティ
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母の日プレゼント
◎2019年5月12日(日)礼拝

・5月の誕生者、母の日を覚えて、子どもと大人が共に礼拝を
 守ることができました。感謝です。
・母の日プレゼントをお母さんたにお届けしました。
・礼拝後、壮年会主催お寿司パーティ、CSスタッフ会がありました。


◎母の日
 今から112年前、アンナ・ジャービス夫人が教会学校の教師をしていた
 母親を偲び、記念会で白いカーネーションを贈ったのが始まりです。


◎説教メモ「受け継がれる恵み」テモテへの手紙二1:3〜10 金 鍾圭牧師

 世代を超えてあることを継承するためには、渡す側と受け継ぐ側の親密な関係の成立が前提となる。その関係には尊敬と尊重が欠かせない。このような信頼関係があったからこそ、家族や社会は存続することができたのである。
 現代社会を見ると危機感を感じる。神が天地を造られて以降、私たちの先祖は被造物に対する神の愛を伝えてきた。私たちが神について知っていることも、その結果であるだろう。しかし、信頼関係が崩壊し始めると、神の愛を次世代へ上手く伝えられるのだろうか。
 昨今の状況の中で、パウロの手紙に登場するテモテの話は大きな意味を私たちにもたらす。テモテは彼の母と祖母から受け継がれた神の愛を伝えることに尽力した。その中では、親を尊敬し、子どもを尊重する信頼関係が存在していたに違いない。
 神によって満ち溢れる恵みがここにあり、私たちが目指すべき道ではないだろうか。受け継がれる恵みの意味を考えて歩んでいきたい。
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本日の礼拝
◎2019年5月5日(日)礼拝

・週のはじめ、共に礼拝を守ることができました。
・CSでは、母の日カードを作りました。
・礼拝後、特別賛美練習、宣教コア会を行いました。


◎説教メモ「傷だらけのからだで」ルカによる福音書24:36〜43 仲程愛美牧師

 裏切った弟子たちへのイエスの第一声は「平和があるように(シャローム)」だった。人間の常識や感情、経験からは考えられない言動だ。裏切りから生じる亀裂、憎悪、恐れ。それら一切を一瞬にして打ち消すのがイエスだ。
 自責の念にかられつつも、己の身を案じていた弟子たちが耳にした言葉は、最も安らぐ日常の挨拶だった。だが、その言葉と同時に、彼らはイエスの傷跡を目にする、手とわき腹の痛々しい傷は、この言葉なしには受け入れられなかっただろう。自分たちが見捨てたために傷を負ったイエスの姿は、「シャローム」という挨拶と共に突きつけられる現実でもあった。
だからこそ「シャローム(神はわれらと共にある)」は弟子たちの心に響き渡る、特別なものであったに違いない。
イエスはこの現実、彼らの葛藤も含めて、弟子たちを受け入れると宣言された。傷だらけからだこそ、人間の全てを受けいれてくださる神の愛のしるしなのだ。