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2019年10月13日

・台風19号により被害に遭われた方々を覚えお祈りいたします。
 一日も早く元の生活に戻れますよう、神さまの慰めと平安がありますように。
・10月にお生まれになった方々を覚えて、子どもと大人が共に、礼拝を守ることができました。
 感謝です。
・礼拝後に交わりの会の打合せ、CSスタッフ会を行いました。


◎説教メモ「出来ないわたしでも」エレミヤ書1:4〜8 仲程愛美牧師

 自身の器量は己が一番知っている。というのは、人間の思い上がりなのかもしれない。はたまた、神のことばを託される責務から逃れようとする口実か。
 エレミヤは若さ故に、神の呼びかけを拒んだ。だが、そのエレミヤに対し神は「わたしがお前を選んだ。神の言葉を語れ。恐れるな。」と言われた。出来ないと尻込む「わたし」を神は遣わされる。エレミヤを鼓舞した神の熱いまなざしは私たちにも向けられている。
2019年10月6日

・世界聖餐日・世界宣教日として、共にみ言葉を聞き、聖餐に預かりながら、
 礼拝を守ることができました。感謝です。
・国内、国外にて宣教の業を担っておられる方々を覚えてお祈ります。
・病と闘っている友の上に、主のお助けがありますように。


◎説教メモ「地の果てに至るまで」マタイによる福音書28:19〜20 金 鍾圭牧師

 キリスト教において宣教の業は最も重要な働きだ。マタイによる福音書28章、使徒言行録1章に記されているように、イエスが昇天の前に残した大宣教命令であるからだ。その後、キリスト者たちは、イエスの言葉を大事に思い、宣教の働きに励んだ。キリスト教の2000年の歴史は、宣教の歴史と言っても過言ではない。
 宣教への道は未知の世界でもある。宣教の業のため大勢のキリスト者が犠牲なった。キリストの福音を伝えることは、時々危険を伴うのである。2017年、キリスト教の殉教者は9万人に及ぶそうだ。それにも関わらず、海外宣教師は増加して行く。現在43万人の宣教師が世界各国で働いている。日本は876人の宣教師が派遣され、その内教団の宣教師は58人に至る。
 教会が宣教に励む理由は何であろうか。上述したように、地の果てに至るまで、すべての民をキリストの弟子として招き、私たちがキリストの証人となるためだ。世の終わりまで、共にいてくださるイエスを信じながら、私たちも地の果てに至るまで、宣教の業に励んでいきたい。
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2019年9月29日

・一週間を始まる日、共に礼拝を守ることができ感謝です。
・病と闘っている友、被災地の方々を覚えてお祈ります。


◎説教メモ「誇りと野心の大地」コロサイの信徒への手紙3:12〜17 金 鍾圭牧師

 イエス・キリストによって私たちが救われたことは否定できない事実である。私たちはキリストによって活かされ、キリストが行った全てのことをこの世に行い、誇りとして胸に刻んでいる。
 だが、この世には私たちの歩みを妨げる存在が力を増してきた。コロサイの信徒らは次の4つのグループにより苦しみを受けたのである。「霊知主義」「エッセネ派」「禁欲主義」「律法主義」、これらは救い主であるイエス・キリストを否定し、イエスの働きを縮小化した。これに対しパウロはコロサイ教会へ手紙を送り、キリストの人格、あるいはキリスト論について語った。彼らが野心にあふれる者たちから妨げられないようにと。
 この大地に生きているかぎり、キリストに従う者として、コロサイ共同体が受けた試練のようなことは数多くあるであろう。妨げに揺らぐことなく、全うして信仰の道を歩んでいきたい。
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・台風の被害を受けた方々を覚えてお祈ります。
・主日、共に集められ礼拝を守ることができました。


◎説教メモ「鯵が味を失うと・・・」ルカによる福音書14:25〜35 金 鍾圭牧師

 鯵は日本で最も愛される魚の一つである。特にアジフライは安い値段で提供でき、定食や弁当のおかずの定番としてその価値を発揮する。しかし、鯵が味を失うとどうだろうか。ただの生ゴミになる。鯵は鯖より足が速いと言われる。鯵の味を存分に楽しむには、塩焼き、アジフライ、あるいは速い内に刺身や寿司として食べなければならない。
 イエスの登場は社会現象にまで至った。大勢の群衆は様々な目的を持ってイエスのもとに集まった。イエスは彼らに「自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない」と言われた。それに続いて味を失った塩の比喩を語る。イエスのもとに集まった人々は、思い煩いや悩みは尽きない日々を過ごしていた。彼らにこのようなイエスの話は伝わらなかったかもしれない。
 イエスは群衆を塩に例えていたと思う。いつか塩気は失われる。その前に塩を使わなければ意味がない。群衆に弟子になる覚悟があるかと語ったイエスは、今もなお、私たちに問いかけている。その問いに私たちは、どのような答えを出せるのか。
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◎2019年9月8日(日)礼拝

・9月にお生まれるになった方々、80歳以上の方々を覚えて、
 子どもと大人が共に、礼拝を守ることができました。
 今年より石橋教会は、敬老の意味として、歳をとることが
 「敬われる」という意味もありますが、神によって恵まれている
 ことを大事にし、恵老祝福として名称を変えたのです。
・礼拝後、定例役員会が行われました。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「勝手な判断は禁止」ローマの信徒への手紙14:1〜9 金 鍾圭牧師

 現代社会において情報は、生活を豊かにさせる貴重な力である。しかし、その情報によって新たな暴力が生まれることも否定できない。
 情報だけを迷信し、相手を勝手に判断する。これが昨今の世の中だ。相手の内面と向き合わず、自分が見たい部分だけ見て、非難に夢中になっている。情報に惑わされず、相手と真摯に向き合わなければならない。
 キリストは特定の少数者のため、この世に来られたのではない。全ての被造物は愛されるために生まれた。主と共に歩み、相手を大切にしていきたい。
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◎2019年9月1日(日)礼拝

・暑い夏を乗り越え、振起日礼拝を迎えることができました。
 気持ちを新たに、心を振るい立たせ、「伝道」の秋へと歩んで参りましょう!
・9月から諸集会が再開されます。覚えてご参加ください。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「聞くだけでは」ヤコブの手紙1:19〜27 金 鍾圭牧師

 私は修士論文で賀川豊彦を研究した。韓国教会史専攻だった私が、日本人牧師の賀川を選んだのには、当時の韓国教会の状況と緊密な関係がある。
大学院に通っていた2009年は様々な問題で、韓国教会内外を問わず多くの人々が不満に沸き立っていた。私は、「聖職者という者は一体何者なのか。いや、信仰の歩みを歩むのは何を意味するか」と悩み始めた。
 礼拝だけささげればそれで良いと主張する人々。礼拝は重要ではない、社会問題に積極的に取り組むべきだと言う人々。しかし彼らの内面を見ると失望するばかりだった。そのような時、私は賀川豊彦に注目した。極端に偏ることではなく、信仰と社会運動に調和を尽くした彼こそ、当時の答えではないかと感じた。その思いは今も変わらない。
 ヤコブ書の著者は、行いが伴わない信仰について警告する。行いではなく信仰を強調したパウロと意見の対立が生じるが、実際二人が語ろうとしていたのは同じだろう。信仰を伴う行い、行いを伴う信仰を目指すこと。
 キリストの恵みの中で歩む私たちは、どちらに偏ることなく、調和を実現する信仰の道を歩んでいきたい。
◎2019年8月25日(日)礼拝

・子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。感謝です。
・自由のために戦っている友の上に主の御導きがありますように。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。
・新しい学期を始まる子どもの上に、主の恵がありますように。


◎説教メモ「希望を失わないように」テサロニケの信徒への手紙一1:1〜10 金 鍾圭牧師

 フィリピでの良き伝道活動の後、パウロたちはテサロニケに向かった。彼らはユダヤ人の会堂でイエス・キリストについて語り、大勢の人々がキリストの福音を受け入れた。しかし、パウロたちを妬んでいたユダヤ人たちがいたため、夜のうちにその地から逃げざるを得ない事態になった。パウロは、残されたテサロニケの信徒が心配になり、状況を把握するためにテモテを派遣した。そして戻ったテモテからテサロニケの様子を聞いたパウロは、本書を送ったのである。不安の中にいるテサロニケ教会へ励ましと希望へのメッセージが記されている。
 私たちは毎日繰り返される不安の中にいる。特に今の世の中を見てみると、その不安は増しているように思う。個人の問題、自然災害、政治、経済、国際関係など、あらゆる課題が不安となり、私たちに襲いかかってくる。テサロニケ教会も同じ状況だった。その中で、彼らは神と共に歩む喜びに身を任せたのである。
 私たちも希望を失わないように神との道を歩んでいきたい。
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アクア混成合唱団
◎2019年8月18日(日)礼拝

・子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・この世の中に、キリストの正義と愛が実現されますように。
・礼拝後、被災地復興のためのチャリティーコンサートが
 アクア混成合唱団により行われました。
 集まれた募金は被災地へ送金いたします。


◎説教メモ「互いに思いを一つに」ローマの信徒への手紙12:9〜21 金 鍾圭牧師

 本書に記されている「互いに思いを一つに」という言葉は、とても素敵な一言である。出身や背景が異なる者たちが集まり、同じことを目指し理想を夢見る。一方で「思いを一つに」の裏に隠れている現実的な重さを看過してはいけない。重要なのは、「何の思い」を一つにするかだ。私たちは、聖書や歴史を通して「思いを一つに」した様々な出来事を知っている。
 旧約聖書の「バベル塔」の物語では、同じ言葉を使っていた人々が、神に近づくため、強大な塔を建設したことが記されている。神はこの様子を見て、彼らの言語を混乱させ、彼らを全地へ散らされた。思いを一つにした傲慢な人間の代表的な出来事である。
 思いを一つにすることは素晴らしいが、その思いの中身について、私たちはいつも警戒しなければならない。
パウロは9節を通して偽りのない愛を持つことを強調している。自分たちの命を狙う敵までも、キリストの愛を用いて対応する重要性を主張しているのだ。
 キリストが私たちに示された愛を、私たちもこの世に行うことが出来るように歩んでいきたい。