◎2017年1月14日(日)礼拝

・1月誕生者を覚えて、子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝中、1月の誕生者・新成人祝福祈祷を行いました。
・礼拝後、お餅つき、CSスタッフ会がありました。
・先日大切な姉妹が天に召されました。
 ご遺族の方の上に主の慰めがありますようお祈りください。

・インフルエンザが流行っています。どうか、お気をつけてください。


◎説教メモ「私は〇〇です」マルコによる福音書1:9〜11 金 鍾圭牧師

 神の子イエスは、同時に人間でもあった。どちらの身分も証明したのが、イエスが洗礼を受けた出来事なのだ。人々と共に歩み罪を背負うことを、公の活動に入る前に示されたのは、自分が何者であるかを明確にするためだ。
 洗礼は自分の思いや決心で決めるものではない。全ての人に与えられている神からの招きだ。イエスは神の招きを受けとめた。全ての人に開かれている神の招きを見失わずにいたい。
 自分が「誰」であるかを説明するのは実は難しいことだ。私が「わたし」であることを証明するには、自分が何者であるかを明確にしなくてはならない。招きに応える者として、イエスのように、神を共に歩むことを受けとめていきたい。
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◎2017年1月7日(日)礼拝

・2018年の最初の主日を子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
 感謝です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
・共に聖餐にあずかる喜びを与えられました。
・来週は礼拝後お餅つきをします。どなたでも、どうぞご参加ください。


◎説教メモ「いるべき場所」ルカによる福音書2:41〜52 金 鍾圭牧師

 過越祭を守った後、帰路に着いていたイエスの両親は、群の中にイエスがいないことに気づいた。急いでエルサレムへ引き返した両親は、神殿の境内で学者たちと話しているイエスを見つけた。心配した母にイエスは、自分が「父の家」にいることは当たり前なのに、どうして捜したのかと言っている。神の子として、救い主として、イエスがいるべき場所は「父の家」=神の家であった。
わたしたちはいつも神を探している。時には「なぜ応えてくれないのか」と神に不満を訴えることもあろう。自分がこんなに苦しんでいるのに、神はいったい何処にいるのだと。しかし、神はいつもいるべき場所に居られる。わたしたちの側に。ただ、わたしたちはこの事実に気づいてないだけ。
イエスは神の子として神の家にいた。神はわたしたちを守って下さる方。神がいるべき場所は他でもない、わたしたちと共に居られる。これはまさにわたしたちにとっては喜び溢れることであろう。このような喜びを思いながら2018年の新しい年を歩んでいきたい。
◎2017年12月31日(日)礼拝

・2017年の最後の日、主と共に礼拝を守ることができました。感謝です。
 多事多難の一年でしたが、新しい2018年も主のお導きの中、歩むことができますように。
 この一年間、ありがとうございました。良いお年を!
・礼拝の中、子どもへのメッセージがありました。
・2018年1月1日(月)午前11時から元旦礼拝です。


◎説教メモ「待ち望んでいたはずなのに」マタイによる福音書2:1〜12 金 鍾圭牧師

 映画「モントリオールのジーザス」は、ある信念を貫いている無名の若き役者ダニエルを、現代に現れたイエスとして象徴的に描いている。不慮の事故で脳死の状態に陥ったダニエルは、奇跡的に生き返った後、イエスのように世の中に対して叫び始めた。しかし、人々はその叫びに目と耳を閉じてしまう。
 彼は再び脳死になり、回復の見込みがないと判断した友人たちは、ダニエルの臓器移植を行うことにした。これによって大勢の人々に新しい人生を与えることになる。それがダニエルや友人たちの世の中に対する「希望」の光だった。映画は人間らしさを失った社会の一面を描くのと同時に、世の中は何を求めているのかを問い返している。
 メシアを待ち望んでいた当時のユダヤ人、特に権力者たちは突然のメシア誕生に難色を示した。彼らが求めていたメシアなのに、イエスを拒否した。
 イエスの誕生は私たちにとって希望の知らせである。その希望を持ちながら立ち上がって新しい年を迎えていきたい。
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◎2017年12月24日(日)礼拝

・クリスマスおめでとうございます。
・御子イエス・キリストの誕生の喜びを世界の全ての人々と
 分かち合うことができますように。
・この世に、主イエス・キリストの平和と愛が満たされますように。
・クリスマス礼拝として子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、クリスマス祝会がありました。
 トーンチャイム演奏、子どもたちのミュージックベール、髙橋姉のコトバによる遊び、
 サンタクロースもやってきました。楽しい時間を過ごすことができました。感謝です。
・午後7時からは、クリスマスイヴ賛美夕礼拝がありました。 
・前日(23日)にはキッズクリスマス、クリスマスキャロリングを行いました。


◎説教メモ「わたしの中にあるコトバ」ヨハネによる福音書1:1〜5、14 仲程愛美牧師

 その「一言」に助けられたり、勇気づけられたり、癒されたり…目には見えないが、大切な心の支えとなるのがコトバかもしれない。私たちの日常が、実は形のないもので成り立っていることに気づかされる。
ヨハネ福音書はイエスの降誕を「言」や「光」を用いて語る。ベツレヘムの馬小屋での出来事、事象ではない。普遍的な事柄なのだ。クリスマスは、今もここで起きている。
 -「ことば」である方は、生身の人間となってわたしたちのあいだに住まいをさだめていた-と本田哲郎神父は訳す。生身の人間は、弱さも醜さも持ち合わせている。不安定でもあり、脆い存在かもしれない。だが、ここを住まいとされたイエスがいる。欠けのこの「わたし」の中にイエスは来られた。「コトバ」によって一人ひとりを支えるため、全ての人に宿る「命」となるために。
 私たちはこの「コトバ」によって繋がる、共に生きる仲間なのだ。
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四本目のろうそくが灯され
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クリスマス礼拝
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本日の礼拝
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祝会にて子どもの演奏会
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クリスマスイヴ賛美夕礼拝にて
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キッズクリスマス
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クリスマスキャロリング
◎2017年12月17日(日)礼拝

・イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節(アドヴェント)です。
 三本目のつろうそくが灯されました。
 病の中にいる人々、苦しみや悲しみの中にある人々、全ての人々に
 主イエス・キリストの光が照らされますように。
・CS礼拝では、目次裕子さんがお話をしてくださいました。
・礼拝後、全員清掃、定例役員会がありました。感謝です。


◎説教メモ「沸き上がる喜び」金鍾圭牧師 イザヤ書40章1〜11節

 ユダヤ人にとって預言書の言葉は時代を超えて希望のメッセージであった。苦しみ、嘆きの時期を過ごした彼らに、神さまが自らこの世に来られることは言葉には形容できない喜びであった。列強国に囲まれ、猛獣の前で恐れている子羊のような彼らに、預言の言葉は力であり、沸き上がる喜びだった。
 そして、その喜びは、すでにこの世の中に満ちている。神さまの優しい御腕が私たちを抱いている。何も恐れず、心配することはない。とこしえに立つ神の言葉によって、私たちは救われたからだ。
アドヴェントを過ごし次週には、待ち望むキリストの誕生を祝うクリスマスを迎える。その喜びをこの世の中に宣言しよう。沸き上がる喜びを!
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本日の礼拝
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CS礼拝
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三本目のろうそく
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来週はクリスマス!
◎2017年12月10日(日)礼拝

・イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節に入りました。
 二本目のつろうそくが灯されました。
 病の中にいる人々、苦しみや悲しみの中にある人々、全ての人々に
 主イエス・キリストの光が照らされますように。
・本日の礼拝では、12月のお誕生者を覚え、大人と子どもが共に礼拝し、
 12月お生まれになった方のための祝福の祈りが行われました。 
・礼拝後、CSスタッフ会がありました。


◎説教メモ「コトバの力」仲程愛美牧師 エレミヤ書36:1〜3

 エレミヤに託された神の言葉はユダ王国に起こる災いと滅亡であった。同時にその先の回復と救いをも語っていたが、人々は壮大なスケールで語られる神の言葉に耳を傾けることはなかった。それでも神は、人々に言葉を残すために書き記させた。いつでも立ち帰れるようにとの想いを込めて。ここに忍耐して人間を見ておられる神の姿がある。
 聞く側がないがしろにし、勝手に歪めても、神は語り、その言葉は残されていった。そして時を超え伝えられてきたものを私たちは「今」受け取っている。神の言葉は朽ちることがない。そのコトバの力をしっかりと噛みしめたい。
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本日の礼拝
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二つ目のろうそく
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うどん食堂
◎2017年12月3日(日)礼拝

・本日より、イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節に入りました。
 一本ずつろうそくが灯されます。
 病の中にいる人々、苦しみや悲しみの中にある人々、全ての人々に
 主イエス・キリストの光が照らされますように。
・本日の礼拝では、長い入院生活から回復なさって退院された方、
 久しぶりに教会へ来られた方とともにアドヴェントを覚えつつ、
 主の聖餐にあずかりながら、礼拝を守ることができました。感謝です。
・礼拝後、釜ヶ崎お弁当作りの打ち合わせ会がありました。


◎説教メモ「神の恵みはとこしえに」金 鍾圭牧師 イザヤ書51:4〜11

イザヤ書は旧約聖書の預言書として三つの大きいテーマが示されている。「警告」「悔い改め」「未来への希望」である。預言は神のことばを預かり語ることだが、その内容が誰も願わない内容のこともある。イザヤ書の記者もそうしたことばを語らなければならなかった。だからこそ「警告」の段階で人々が気付いてほしかった。神の御言葉を受け入れ、立ち帰ることに。
しかし、イスラエル民はそうではなかった。彼らはバビロンによって滅ぼされ、屈辱的な時間を過ごさなければならなかった。
神の御言葉は絶望だけではなく、とこしえに続く喜びを与えて下さる。そのとこしえの喜びと楽しみによって嘆きと悲しみは永遠に消え去る。これこそが、神が私たちに与えて下さる恵みであり、真理である。
 アドヴェントを過ごしている今、主が私たちに与えて下さるその恵みを覚えつつ、イエス・キリストを待ち望みながら歩んでいきたい。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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アドヴェントを覚えて
◎2017年11月26日(日)礼拝

・収穫感謝礼拝として子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・1年間育ててくださった神さまに感謝です。
・礼拝後、愛餐会がありました。美味しいカレーをいただき、レクリエーション、
演奏会など楽しいひとときでした。
・愛餐会後、CSの子どもたちと近所の施設に皆さん捧げものをお届けました。
・その後、クリスマスの準備(飾りなど)を行いました。


◎説教メモ「ずっと待っててくださる」金 鍾圭牧師 Iテモテ1:12〜17

 今日は収穫感謝礼拝である。1年間すべてのことを整えて下さり、育てて下さった神に感謝の気持ちを表すときだ。
 収穫を得るためには時間との関係は必須不可欠である。種を蒔いて、水を注ぎ、時には適当な栄養分を供給する。また、外部の敵から守らなければならない。この一連の地道な作業の結果、豊かな収穫物を得られるのである。このような作業は地味だけれど、欠かせない大事なことである。
 わたしたちに対する神の恵みも同じなのだ。わたしたちのすべてのことを導いて下さる神は、決してせっかちではない。倒れていたら神は御手を伸ばし、立ち上がるまでずっと待っててくださる。これこそが神の恵みであり、本日の聖書で記されているように、パウロが受けた憐れみなのだ。
 「限りない忍耐をお示しに」なったように、神はいつまでも、どこまでもわたしたちを待ってて下さる。慈しみ深い恵みがあふれる御手を伸ばして・・・。

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本日の礼拝
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収穫感謝礼拝&愛餐会
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クリスマス準備