◎2017年8月13日(日)礼拝

・8月誕生者祝福礼拝として大人と子どもが共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、そうめん流しが行われました。
・暑い日々が続いております。熱中症などにならないようご自愛ください。
・病など戦っている友を覚えて祈ります。


◎説教メモ「人生のナビゲーション」金 鍾圭牧師 ヨハネによる福音書20:30〜31

 夏休みが訪れた。この時期を利用して家族旅行する人々も多いだろう。夏休みになると、幼い頃の家族旅行のある出来事を思い出す。
 父は朝から地図との戦い。行ったことない道を走らないといけないからだ。出発してどのぐらい経ったのか、父の様子が可笑しい。しっかりと覚えたはずが道に迷っている。夏休み定番の高速道路渋滞と重なり目的地に遅れて到着。神経質になった親たちとは違い、家族旅行で楽しんでいる子どもたちの姿を見て父はホッとする。
 音声案内など最新の技術が搭載されたカーナビのお陰で今の運転は快適になった。車にナビがあるかないかによって運転の環境は大幅に変わる。時にはスピードなどの安全運転のためアドバイスも忘れない。
 私たちにとって「聖書」がその役割を果たしている。カーナビのように私たちの人生の目的などを案内しているのだ。時には自分の考えとは違う道を教えているが、後で見るとその道は正しかった。聖書は神の言葉であり、キリストを証することであるからだ。聖書というナビを持って人生の道を走り出そう。
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◎2017年8月6日(日)平和聖日礼拝

・平和聖日として、子どもと大人が共に礼拝を
 守ることができました。感謝です。
・主の平和が、この世に満たされることを願います。
・病のため、礼拝に集うことが叶えない兄弟・姉妹を覚えてお祈りします。
・8月のCS礼拝は大人と共に合同礼拝です。小学校に入る前のお友だちは第1集会室で、
 小学生以上のお友だちは礼拝堂で大人と一緒に礼拝をします。集合時間は10時15分です。
・日曜食堂・オリーブ会は、8月の1ヶ月間お休みさせていただきます。


◎説教メモ「平和の恵み」金 鍾圭牧師(Ⅱコリント5:14〜6:2)

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)は、この世界に対する神のお考えが見られる聖句である。そもそも何で神は独り子を私たちにお与え下さったのか。それは本日の聖書にも書いているように「世を御自分と和解させる」ためである。初めて人類が犯した過ちにより、神と人間は断絶された。つまり、親子の関係が破綻したということである。しかし、神は自ら私たちと和解を望み、独り子であるイエス・キリストを通して世を贖って下さった。この和解の道筋を私たちも歩まなければならない。
 72年前、日本は悲惨な現実を目の当たりにしながら戦争を終えた。その後、平和への道を歩もうと憲法9条を大切にしてきた。しかし、今の社会はこの平和への道を脅かしている。私たちは自ら「和解」を破ろうとしているのだ。神が私たちと和解を結んだのは、その道が正義だったからだ。人と人が互いに傷つくことではなく、互いに尊重することが、自ら和解した神のお考えであり、私たちが倣うべき道ではないのか。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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日曜食堂
◎2017年7月30日(日)主日礼拝

・共に礼拝を守ることができました。感謝です。
・昨日、小柴せつこ姉のお別れ会が行われました。
 遺族の上に主の慰めがありますようお祈りします。
・病のため、礼拝に集うことが叶えない兄弟・姉妹を覚えてお祈りします。
・8月のCS礼拝は大人と共に合同礼拝です。小学校に入る前のお友だちは第1集会室で、
 小学生以上のお友だちは礼拝堂で大人と一緒に礼拝をします。集合時間は10時15分です。



◎説教メモ「誰が私を変えるのか」仲程愛美牧師(ローマ9:19〜28)

 神の被造物である人間は、陶工の手中にある粘土のようなもの。作り手に全てが委ねられ、形造られ陶器は完成する。
 神はイスラエルの民を選び、その民との関わりを通して、人間が神の御手の中にある存在だと示された。そして、時に投げて打ち砕かれるような器(存在)を、神の栄光を現す憐れみの器として造り変えられる。怒りの器を、忍耐をもって憐れみの器としてくださる神の姿勢を手紙の著者は語る。
誰が私たちを変えるのか。それは人間を造られた神の他にいない。神から遠ざかっている者にも向けられる神のまなざし、神の計画がそこにある。全ての人が神によって新しくされる。
 私たちは、神から離れた異邦人だったイスラエルの民も同様に、神を知らない者、神から目を背ける者でもあった。しかし、神の寛容と忍耐が、私たちを怒りの器から恵みの器へと変えくださる。神の御手の中にある「私」を心に留めていたい。
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・日本の豪雨災害地を覚えてお祈りします。
・病のため礼拝に集えない、兄弟・姉妹を覚えてお祈りします。
・CS礼拝では、佐藤一生兄がお話をしてくださいました。
・礼拝後、80周年記念誌委員会がありました。


◎説教メモ「適当な真似は・・・」金 鍾圭牧師(使徒言行録19:13〜20)

 ユダヤ人の祈祷師たちの物語を通して、神は私たちに三つの大事なことを教えて下さっている。一つ目、奇跡は目的ではなく手段であること。二つ目、イエスの御名は試すために使うことではない。最後に三つ目は、イエスは他者ではなく、人格的な関係で結ばれた我が主であること。
 パウロは奇跡が宣教の働きにあって目的ではなかった。彼にとって奇跡は神の御業を示す一つの手段だった。しかし、祈祷師たちには奇跡は自分たちの成功の目的であった。彼らはイエスの名を試しに用い、十戒の第3である「神の名をみだりに唱えてはならないこと」の戒めを破ったのだ。この罪を犯したのは、ユダヤ人である彼らにとっては、イエスは他人であり、関係のない存在と思っていたからである。しかし、イエスは特定する誰かのキリストではなく、全ての者の「我が主」キリストであることを忘れてはならない。
 自分たちの利益のため「適当な真似」を行なったユダヤ人の祈祷師たちが、もし、我が主としてイエスの御名を唱えたとしたら、本日の聖書の内容は大幅に変わっていたかもしれない。
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本日の礼拝
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CS礼拝
◎2017年7月9日(日)礼拝

・九州豪雨災害を覚えてお祈りします。
・病のため礼拝に集えない、兄弟・姉妹を覚えてお祈りします。
・CS礼拝では、柴山文男兄がお話をしてくださいました。
・礼拝後、定例役員会がありました。


◎説教メモ「仲介業務」仲程愛美牧師(Ⅰテモテ2:1〜8)

 初代教会内の組織が整っていく一方、新たな問題が出てきた。異なる教えが広まり始めたのだ。著者はそれに対する警告と同時に、教会に集う人々の取るべき姿勢を記している。
 相容れない、受け入れ難い教えを説く者が現れた状況下で「すべての人々ために」と語られていることに注目したい。教会(自分たち)にとって危険な存在にも「願い・祈り・執り成し・感謝」をささげることが必要だと語る筆者。この勧めがどれほど厳しいものであったかは想像に難くない。
 だが、ここにキリスト者に求められる姿勢、生き方がある。すべての人々が救われるために祈り、執り成すこと。誰かのために、認めたくない人、嫌いな人のためにも思いと時間をささげなくてはならないのだ。それがキリスト者としての仲介業務なのだろう。
 イエスは神と人間との仲介役として生きられた。文字通り、すべての人を救う(神と繋がらせる)ために。こんな時代だからこそ、私たちもすべての人が神と繋がれること求め続けていきたい。

◎2017年7月9日(日)礼拝

・九州豪雨災害を覚えてお祈りします。
・病のため礼拝に集えない、兄弟・姉妹を覚えてお祈りします。
・7月にお生まれになった方々を覚えて、子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、CSスタッフ会がありました。8月の予定、夏のプログラムについて
 話し合いました。お疲れ様でした。


◎説教メモ「おおきな木の気持ち」金 鍾圭牧師(使徒言行録4:32〜37)

 今の社会は、誰かが利益を得るために必ず誰かは不利益を被るのが現実である。それによって生じる両極化は社会問題になっている。絵本「おおきな木」のメッセージは資本主義が蔓延している今の時代に大きく響いているであろう。
 おおきな木は「ぼうや」に自分の全てのものを与えた。それでもおおきな木はうれしかった。なぜなら、ぼうやを助けることができたから…。誰かを助ける喜びをすでにおおきな木は知っていたのであろう。
 初代キリスト教の共同体は自分たちが持っている全てのものを共有していた。誰も自分のものに対して権利を訴えることはなかった。もちろんこれについては特殊な背景が存在していたかもしれない。しかし重要なことは互いに信頼しながら自分のものを共有する生活が嫌ではなかったことである。
 心と思いを一つにし、歩んだ初代キリスト教共同体の姿こそ、現代を生きている私たちが目指すべき本来の姿ではないのか。
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◎2017年7月2日(日)礼拝

・主の聖餐を交わりながら、礼拝を守ることができました。
・世界の指導者たち、日本の政治のために祈ります。
・病のため礼拝に集えない、兄弟・姉妹を覚えて祈ります。
・礼拝後、壮年会・婦人会合同例会がありました。 
 「現代に生きる宗教」のテーマのもとDVD上映会を行われ、
 話し合い時間を持ちました。感謝です。


◎説教メモ「持っているものを」仲程愛美牧師(Ⅱコリント8:1〜15)

 手にした1本の藁が、豪邸になる。このわらしべ長者の主人公は当初、お告げだからと手にした藁をすぐには手離さなかった。持っている藁に価値をおいていたからだ。
 エルサレム教会が困窮していることを知り、支える必要性を感じたパウロは、異邦人教会に援助を求めた。それらの教会は他教会を支えられる程の余裕はなかったが、それでも持っているものをささげた。パウロはマケドニアの人々の姿勢をコリントに伝えつつ、途絶えてしまった援助の再開を願っていることを手紙に認めたのだった。
 イエスとの繋がりの中で貧しさを共有する。ささげものの本来の目的はここにある。お互いが裕福になることではない。共に歩むためだ。イエスがわざわざ人間となり貧しき者となられたのは、わたしたちと共に生きるためだった。
 持っているものをささげること。それは相手に対して「共にいる」という証なのだ。神はその働きを受け入れ、そこに豊かさを見出しておられる。わたしたちが手にしているものはそれほど「豊かで価値あるものだ」と覚えていたい。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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CS子どものコピーカフェ
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壮年会・婦人会合同例会
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◎2017年6月25日(日)礼拝

・沖縄を覚えて祈ります。主の平和と正義を求めながら歩まれますように。
・主と共に礼拝を守ることができました。感謝です。
・CS礼拝では、吉澤彰子さんが「バベルの塔」のテーマのもと
 お話をして下さいました。感謝です。
・病のため礼拝に集えない、兄弟・姉妹を覚えて祈ります。
・礼拝後、共育委員会、CSスタッフ会がありました。
 共育委員会では、今後の家庭集会のあり方、CSスタッフ会では、7月の予定、
 夏のプログラムについて話し合いました。皆さんお疲れ様でした。


◎説教メモ「我らは主の作品」金 鍾圭牧師(イザヤ書60:19〜22)

 古代イスラエルは当時の周辺国と比べると何一つ自慢できるものはなかった。エジプトのように科学や文化、バビロンやペルシアのように強い軍事力が彼らには許されなかった。しかし一つだけイスラエルの民に許されたのがあった。それは神に従うことである。神に対する信仰こそが彼らの唯一の力であった。
 しかし、彼らは時々神に背き、自分勝手な道を歩んでしまった。その結果、イスラエルはエジプト・アッシリア・バビロン・ペルシア等に植民化され苦しめられたのである。
 このようなことを彼らに与えたのは神であったが、神は苦しんでいる彼らを無視することもできなかった。彼らは神の被造物であり、貴い作品だったからだ。彼らに罰を与えたのは、憎んでいたからではなく、慈しみ深い愛の形なのだ。神の救いの道は、我らの想像をはるかに超えている。
 我らは既にその愛を受けている。なぜなら、主の大切な存在であるからだ。共に喜んで下さり、また、共に苦しんで下さる神のみ恵みの中で導かれることに感謝しつつ歩んでいきたい。