◎2018年11月4日(日)礼拝

・96名の信仰の先輩たちを思いながら、ご遺族の方々と共に
 永眠者記念礼拝として主日礼拝を守ることができました。
・礼拝後、偲ぶ会のひととき過ごしました。


◎説教メモ「復活を望む」テサロニケの信徒への手紙一4:13〜18

 テサロニケ教会が直面した問題は、復活に関することであった。指導者不在の中、復活はないなど偽りの話を伝える者が現れた。数少ない信徒がこれに惑わされ悩んでいたのだ。彼らの悩みは、キリストが再臨するとき、復活がないとしたら死者たちはどうなるのかであった。
 パウロはテサロニケ教会の信徒を正しい道へ導く責任があった。それで彼は書簡を送り、励ました。死者であろうが生きている者であろうが主は共におられる。これを信じて復活を望む信仰を歩めと教えられた。
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本日の礼拝
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信仰の先輩たち
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偲ぶ会
◎2018年10月28日(日)礼拝

・主と共に礼拝を守ることができました。感謝です。
・主から力をいただいて、新しい一週間を過ごすことができますように。
・礼拝後、うどん食堂、共育コア会がありました。


◎説教メモ『「なぜ」は答えがない』ヨブ記38:1〜18

 疑問をもつこと、原因を探ることは知識を得る、真相を突き止める際などに求められる姿だ。しかし、そこには人間という枠がある。その枠を超えることはできるはずがないのに、私たちは人生における全てのことに答えを見出そうとする。神に造られた、被造物としての謙虚さを見失いたくない。
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◎2018年10月21日(日)礼拝

・主に生かされる歩みに感謝です。
・信徒伝道日礼拝として、目次裕子さんより奨励をいただきました。
・礼拝後、うどん食堂、定例役員会がありました。
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本日の礼拝
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目次裕子さん
◎2018年10月14日(日)礼拝

・10月にお生まれになった方々を覚えて、子どもたちと共に
 礼拝を守ることができました。感謝です。
・礼拝後、防災訓練、壮年会主催焼肉パーティがありました。


◎説教メモ「エリコでの出来事」金 鍾圭牧師 ヨシュア記6:1〜5

 乳と蜜の流れる約束の地カナンに辿り着いたイスラエルの民。荒れ野の長い試練を乗り越えた彼らを待ち受けていたのはカナン征服であった。その初戦となるエリコでの攻城戦。神の民として心を改め挑んだ彼らに命じられた神の言葉は思わぬものだった。
 エリコ城を陥落するために取るべき手段は強力な武器を使うことでも、優れた戦術でもなかった。ただ、エリコ城の周りを回るだけ。「これでいいのか」と疑問を持っていた者もいたかも知れない。しかし、イスラエル民は神の言葉に従い、語られたままに行ったのである。そして最後の日、見事にエリコの堅い城壁は崩れた。
 エリコを含むカナンでの出来事は、征服や戦の正当化を教える話ではない。どんなことがあっても神に従えるのかを問われているのだ。これがエリコでの出来事の意味である。

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本日の礼拝
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防災訓練
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焼肉パーティ
◎2018年10月7日(日)礼拝

・新しい一週間が始まる日、兄弟姉妹が共に聖餐にあずかり、礼拝を守ることができました。
・CS礼拝では、柴山文男兄によりヨシュアのお話を伺いました。
・礼拝後、守部喜雅先生による「西郷隆盛・愛とゆるしの生涯」のテーマのもと、
 秋の特別集会が行われました。感謝です。


◎説教メモ「ここに立つこと」仲程愛美牧師 使徒言行録5:27〜42

 メシア到来を待つ祭司たちと、イエスこそメシアだと宣べる使徒たち。前者は培ってきた教えや価値観が崩れていくことが受け入れ難く、執拗に「キリスト」を排除した。後者は待望の出来事の実現に心躍らせ、希望に燃えていた。使徒たちの勢いと原動力は民衆を巻き込み大きなうねりとなっていた。祭司たちは恐れたに違いない。恐れを伴う力(権力)は小さき者への圧力(迫害)へと変わる。
 その中でペトロは語る。「人間ではなく神に従う」と。そこにいた祭司たちにこの言葉は届かない。むしろ殺意を抱かれた。その動向に待ったをかけたのが律法の教師、ガマリエルだった。
 彼の提案は神に任せるという最もなものだった。理不尽な力の前でも神に従うことを宣言したペトロ。憎悪が渦巻く真ん中に立ち神に委ねる道を説いたガマリエル。立場は違えど、神を基準とする自分の立ち位置を確立していたように感じる。私たちは様々な状況の中で、何を基準として、ここに立っているだろうか。
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本日の礼拝
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秋の特別集会
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守部喜雅先生の講演会
◎2018年9月30日(日)礼拝

・愛する兄弟が天に召されました。
 ご遺族の方々の上に主の豊かな慰めがありますように。
・共に集まって賛美し祈り、み言葉共に恵まれて感謝です。
・台風24号の影響で礼拝後の全ての行事は中止となりました。


◎説教メモ「一触即発の前に」金 鍾圭牧師 出エジプト記32:7〜14

 モーセとイスラエル民が一触即発の危機を迎えていた。モーセがシナイ山に登り、大分時間が過ぎても帰って来ない。不安になった民たちは偶像を造ってしまう。これが神の怒りに触れた。モーセの前で神はイスラエル民を絶滅することを宣言したのである。
 その時、モーセの取った行動は驚くべきものであった。イスラエル民のために神の意志を引止めようとしている。一歩間違えると自分の命も保証できない状況の中、彼は自分より民を救う道を選んだのである。怒りの神の前で、モーセも譲る気はない。恐れの中、彼は大胆に民を救うために神になだめて語った。神はそのモーセの言葉に耳を傾け、告げられた災いを思い直されたのである。
 緊迫の中で、神の怒りに恐れてしまいモーセが黙ったのであれば、イスラエル民は絶滅されたであろう。しかし、勇敢なモーセ、またその声に答えて下さった神によって彼らは救われたのである。
 怒りの神でありながら慈愛に満ちる神と、その僕モーセの協奏による出来事がここにある。
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◎2018年9月23日(日)礼拝

・被災地の方々を覚えてお祈りします。
・共に賛美し、祈り、み言葉に耳を傾くひと時が出来て感謝です。
・CS礼拝では、佐藤一生兄からお話をいただきました。
・礼拝後、秋の特別集会のための教会全体チラシポスティング、
 礼典コア会を行いました。


◎説教メモ「踏みとどまる」仲程愛美牧師 コロサイの信徒への手紙1:21〜29

 島原の乱を題材にした舞台を観た。描かれる天草四郎はキリシタン弾圧に苦しむ島民に語りかける。生きるために立ち上がれ、神は我々の中にいる、いのちのために戦うのだと。
 日々の歩み中で、時に神を見失い、自分をも見失い希望をもてなくなることがある。信じるが故に苦しまなければならないことも。
 パウロもそのような道をたどった一人だ。だが彼は決して失意に陥らなかった。逆説的だがキリストを信じるから労苦するが、その労苦が一層キリストへの信仰を確かなものにしていった。
 そこには揺るがないイエスへの思いがあったからだ。イエスこそ救いであり、その救いはすべての人に与えられるものだという確信、希望だ。
 信じることは希望を見失わないことかもしれない。私たちの中にあるイエスという希望を。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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チラシポスティング準備
◎2018年9月16日(日)礼拝

・台風21号、北海道地震による被災地を覚えてお祈ます。
・信仰と人生の先達を覚えながら敬老祝福礼拝を守ることができました。
 18名の方々に敬老のプレゼントをお渡しました。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
・CS礼拝では、柴山文男さんからお話を伺いました。
・礼拝後、定例役員会を行いました。


◎説教メモ「賞味期限なし」金 鍾圭牧師 ヘブライ人への手紙9:23〜28

 食品には賞味期限がある。食品のみならず、電子機器などにも使用期限というのが存在する。だから永久に使えない。いつか必ず代用品を備えないといけない。
 ユダヤ人は毎年贖罪日を守っている。この日には自分たちが犯した罪に対し、神に赦しを祈るのである。大祭司長は21項目の儀式を行い、羊、牛などの家畜を犠牲としてささげた。贖罪日のみならず、過越祭などの度に、犯した罪を赦してもらうため、数多くの動物が犠牲にならざるを得なかった。ある記録によると、過越祭には犠牲になった動物の血で川が真っ赤に染まったと記されている。このような儀式を毎年何回も行った。自分たちの罪を赦されるために。
 イエス・キリストの十字架の出来事によって私たちは罪から救われた。毎年贖罪の儀式を行わなくてもいい。私たちに罪の赦しの賞味期限は存在しない。なぜなら、キリストが私たちの罪を永久的に赦して下さったからである。この測ることのできないキリストの恵みによって毎日を歩んでいきたい。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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敬老のプレゼント