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◎2019年9月8日(日)礼拝

・9月にお生まれるになった方々、80歳以上の方々を覚えて、
 子どもと大人が共に、礼拝を守ることができました。
 今年より石橋教会は、敬老の意味として、歳をとることが
 「敬われる」という意味もありますが、神によって恵まれている
 ことを大事にし、恵老祝福として名称を変えたのです。
・礼拝後、定例役員会が行われました。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「勝手な判断は禁止」ローマの信徒への手紙14:1〜9 金 鍾圭牧師

 現代社会において情報は、生活を豊かにさせる貴重な力である。しかし、その情報によって新たな暴力が生まれることも否定できない。
 情報だけを迷信し、相手を勝手に判断する。これが昨今の世の中だ。相手の内面と向き合わず、自分が見たい部分だけ見て、非難に夢中になっている。情報に惑わされず、相手と真摯に向き合わなければならない。
 キリストは特定の少数者のため、この世に来られたのではない。全ての被造物は愛されるために生まれた。主と共に歩み、相手を大切にしていきたい。
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◎2019年9月1日(日)礼拝

・暑い夏を乗り越え、振起日礼拝を迎えることができました。
 気持ちを新たに、心を振るい立たせ、「伝道」の秋へと歩んで参りましょう!
・9月から諸集会が再開されます。覚えてご参加ください。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「聞くだけでは」ヤコブの手紙1:19〜27 金 鍾圭牧師

 私は修士論文で賀川豊彦を研究した。韓国教会史専攻だった私が、日本人牧師の賀川を選んだのには、当時の韓国教会の状況と緊密な関係がある。
大学院に通っていた2009年は様々な問題で、韓国教会内外を問わず多くの人々が不満に沸き立っていた。私は、「聖職者という者は一体何者なのか。いや、信仰の歩みを歩むのは何を意味するか」と悩み始めた。
 礼拝だけささげればそれで良いと主張する人々。礼拝は重要ではない、社会問題に積極的に取り組むべきだと言う人々。しかし彼らの内面を見ると失望するばかりだった。そのような時、私は賀川豊彦に注目した。極端に偏ることではなく、信仰と社会運動に調和を尽くした彼こそ、当時の答えではないかと感じた。その思いは今も変わらない。
 ヤコブ書の著者は、行いが伴わない信仰について警告する。行いではなく信仰を強調したパウロと意見の対立が生じるが、実際二人が語ろうとしていたのは同じだろう。信仰を伴う行い、行いを伴う信仰を目指すこと。
 キリストの恵みの中で歩む私たちは、どちらに偏ることなく、調和を実現する信仰の道を歩んでいきたい。
◎2019年8月25日(日)礼拝

・子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。感謝です。
・自由のために戦っている友の上に主の御導きがありますように。
・病と戦っている友を覚えてお祈りいたします。
・新しい学期を始まる子どもの上に、主の恵がありますように。


◎説教メモ「希望を失わないように」テサロニケの信徒への手紙一1:1〜10 金 鍾圭牧師

 フィリピでの良き伝道活動の後、パウロたちはテサロニケに向かった。彼らはユダヤ人の会堂でイエス・キリストについて語り、大勢の人々がキリストの福音を受け入れた。しかし、パウロたちを妬んでいたユダヤ人たちがいたため、夜のうちにその地から逃げざるを得ない事態になった。パウロは、残されたテサロニケの信徒が心配になり、状況を把握するためにテモテを派遣した。そして戻ったテモテからテサロニケの様子を聞いたパウロは、本書を送ったのである。不安の中にいるテサロニケ教会へ励ましと希望へのメッセージが記されている。
 私たちは毎日繰り返される不安の中にいる。特に今の世の中を見てみると、その不安は増しているように思う。個人の問題、自然災害、政治、経済、国際関係など、あらゆる課題が不安となり、私たちに襲いかかってくる。テサロニケ教会も同じ状況だった。その中で、彼らは神と共に歩む喜びに身を任せたのである。
 私たちも希望を失わないように神との道を歩んでいきたい。
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アクア混成合唱団
◎2019年8月18日(日)礼拝

・子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・この世の中に、キリストの正義と愛が実現されますように。
・礼拝後、被災地復興のためのチャリティーコンサートが
 アクア混成合唱団により行われました。
 集まれた募金は被災地へ送金いたします。


◎説教メモ「互いに思いを一つに」ローマの信徒への手紙12:9〜21 金 鍾圭牧師

 本書に記されている「互いに思いを一つに」という言葉は、とても素敵な一言である。出身や背景が異なる者たちが集まり、同じことを目指し理想を夢見る。一方で「思いを一つに」の裏に隠れている現実的な重さを看過してはいけない。重要なのは、「何の思い」を一つにするかだ。私たちは、聖書や歴史を通して「思いを一つに」した様々な出来事を知っている。
 旧約聖書の「バベル塔」の物語では、同じ言葉を使っていた人々が、神に近づくため、強大な塔を建設したことが記されている。神はこの様子を見て、彼らの言語を混乱させ、彼らを全地へ散らされた。思いを一つにした傲慢な人間の代表的な出来事である。
 思いを一つにすることは素晴らしいが、その思いの中身について、私たちはいつも警戒しなければならない。
パウロは9節を通して偽りのない愛を持つことを強調している。自分たちの命を狙う敵までも、キリストの愛を用いて対応する重要性を主張しているのだ。
 キリストが私たちに示された愛を、私たちもこの世に行うことが出来るように歩んでいきたい。
◎2019年8月11日(日)礼拝

・8月にお生まれになった方々を覚えて、
 子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・予定していたそうめん流しは、延期となりました。
 詳しい日付については、後ほどお知らせいたします。
・礼拝後、役員会がありました。
・石橋教会の8代目牧師であった丹誠牧師が8月5日天に召されました。
 ご遺族の方の上に、主の豊かな慰めがありましように。


◎説教メモ「みんな同じ」使徒言行録15:1〜11 金 鍾圭牧師

 エルサレム会議は初期キリスト共同体に大きな転機をもたらした。パウロによる異邦人への伝道が進み、その影響により非ユダヤ社会の人々がキリストを信じるようになっていた。喜ぶべきことである。
 しかし異邦人はある問題に直面する。ユダヤ人が、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われないとの偽りの教えを広めたからだ。パウロたちはこの問題について協議するため、エルサレムに派遣されたのだ。
 会議では、この議題のために激しい論争が繰り広げられた。中々意見がまとまらず、膠着状態が続く中、ペトロは立ち上がり語った。神はユダヤ人と異邦人は同じ存在であり、すべての人々がキリストの救いの対象であると示されていると。以降、パウロの証言、ヤコブの言葉により、エルサレム教会は異邦人が割礼を受けていなくても、神の救いの恵みを受けることができると決めたのである。
 この大きな転機により、キリスト教は益々広がっていった。互いを認め合い、向き合うことによって行われた初期キリスト共同体の偉大な出来事である。
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◎2019年8月4日(日)礼拝

・平和聖日として子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
 この世の中で、真の平和が訪れますように。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。
・次週の礼拝後、そうめん流しを行います。ご参加ください。


◎説教メモ「復讐って、何のお得もない」ルカによる福音書6:27〜36 金 鍾圭牧師

 国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味する。しかし、国際平和秩序はあくまでも国家間での平和の維持を共通目標とするのにとどまり、各国の国内の人民の安全まで保障しようとするものではなかった。そのため、各国内での人道的危機が国際社会から見放されてきたのではないかという問題も指摘され、人間の安全保障と平和の両立が課題となっている。つまり「平和」という課題は時代によって変わっていくのである。
 イエス・キリストの「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」という言葉は、抽象的であり遠く感じる「平和」を、身近な存在の「平和」として表している。真の平和は、支配者たちが勝手に決めるのではなく、「私から始まるのだ」という認識が必要な時代になったのである。
 互いに理解し合い、向き合うことによって真の「平和」が実現される。復讐が蔓延しているこの世の中で、何の得もないことをせず、共に歩んで行こう。遥か彼方の平和ではなく、私たちのすぐ側にある平和を目指して…。
◎2019年7月28日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・礼拝後、礼典コア会、共育コア会が行われました。
・26日(金)〜27日(土)箕面教会とCS合同キャンプが
 関西学院千刈キャンプ場にて行われました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。


◎説教メモ「歩むべき道」ガラテヤの信徒への手紙6:1〜18 金 鍾圭牧師

 異邦人のための使徒と呼ばれたパウロは生涯3回に渡り伝道の旅に出た。呼び名の通り、活動の舞台はエルサレムやユダだけでなく、サマリアを超え、地の果てに至る異邦人のいる地域であった。パウロは必要に応じ数日から数年の間、同じ場所に滞在しキリスト共同体を育てた。イエスが仰ったように「収穫は多いが、働き手が少ない」状況の中でパウロは奮闘した。
 その中で生じた問題が、キリスト共同体が成熟する前に、パウロがその地を去らなければならないことだった。これによりある共同体では、ユダヤ人キリスト者が入り込み、異邦人キリスト者を惑わした。「ユダヤの律法を守るべき」「割礼を受けない者は、救われない」と教えたのである。
 パウロは手紙の中(6章15節)で「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」と語り、キリストを信じる信仰によって生きる大切さをガラテヤ共同体、そして私たちに話しかけている。私たちが歩むべき道は何か…。探ってみよう。
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CS礼拝
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CSキャンプ旗
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◎2019年7月21日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・CS礼拝(子どもの礼拝)では、柴山真理さんによって
 パウロのお話を伺いました。
・礼拝後、定例役員会が行われました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。


◎説教メモ「眠くても、落っこちても」使徒言行録20:7〜12 仲程愛美牧師

 もうダメだと思う時がある。特に自身の手には負えない事柄を前にすると、人は諦め、断念し、望みを捨てる。一概に悪いことではなく、己の限界という意味では、諦めが肝心だということも納得がいく。だがそれは人間の思い、感性だ。
 パウロは夜通し語っていた。出立を前にして、その語りに熱が入ったのか「話が長々と続いた」と聖書は記す。集まっていた一人の若者は、眠りこけ3階から落下し命を落としてしまう。パウロはすぐさま降りていき、彼を抱きかかえ「生きている」と宣言する。そして何事もなかったかのように、パンを裂き皆で食し、語り始めた。
 極端な言い方だが、眠気に襲われようとも、命を落とそうとも、神の言葉は語られ、主の恵みは分かち合われる。私たちに対する神からの呼びかけは中断することがない。それは人間の限界、絶望の先に備えられている神からの慰めであり、希望なのだ。
 私たちの歩みには中断はあるかもしれないが、神の招きは何があろうと続くのだ。