◎2018年2月18日(日)礼拝

・レントに入りました。主イエス・キリストの受難を思いながら、
 また、キリストの復活を待ち望みながら歩まれますように。
・CS礼拝では、柴山文男兄がお話をして下さいました。
・毎週日曜日午前9時40分から行われるオリーブ会(読書会)の本が新しく変わりました。
 樋野興夫著『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』
 どなたでもご参加ください。
・礼拝後、定例役員会を行いました。
・今週の祈りの課題は「受難節を覚えて」「石橋教会コンサートのために」です。
 覚えてお祈りください。


◎説教メモ「苦難の中でも」マルコによる福音書1:12〜15 金 鍾圭牧師

 幼い頃から「なぜ、イエスに荒野の誘惑が必要だったのか」が疑問であった。神でもあるイエスが「誘惑には落ちるはずがない」と考えていた。その頃の私は、荒野の誘惑が重要なことを示していることをまだ知らなかったのだ。
 聖書はイスラエルの歴史書ではない。私たちの道標なのだ。登場人物は他者ではなく、「自分」であることを認識しなければならない。その意味で、荒野の誘惑の出来事は私たちに無関係なことではない。
 神でありながら完全な人間であったイエスにとって誘惑はやはり誘惑である。しかしイエスは惑わされず、天使たちの支えを受けながら、救いのための偉大な旅の第一歩を踏み出した。
 この出来事から、苦難の中でも誘惑に負けず、神に支えられ前進する私たちの姿が示されているのではないか。


◎今週の予定
・20日(火)家庭集会
・24日(土)本日の食堂準備
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◎2018年2月11日(日)礼拝

・2月の誕生者を覚えて、子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、CSスタッフ会がありました。
・今週の祈祷課題は「受難節を覚えて」
「互いを認め合う社会のために」です。
 覚えてお祈りください。


◎説教メモ「その一言が」マルコによる福音書4:35〜41 仲程愛美牧師

 激しい波風(困難)を前にすると、そこには神がいないかのように慌てふためく。弟子たちのこうした態度にイエスは厳しく戒められた。
 恐れ、不安、絶望の中で、ある種の怒りや憤りをイエスに覚える弟子たち。その不満が言葉に現れている。「なぜ我々を見捨てるのか」と。慌てふためき、イエスが共にいることを忘れ、目の前の現実に自分たちだけで必死になっているのだ。
 「どうして自分で解決しようするのか。神が全てを見ておられることを忘れたのか」とイエスは問われている。私たちは突風をも静めるイエスの存在、神の働きを軽んじていないか。イエスの一声に気づかされる。信頼するとの意味を改めて噛みしめたい。


◎今週の予定
・14日(水)灰の水曜日(受難節・レント、〜3月31日まで)、聖書に学び祈る会
・15日(木)聖書とお茶の会、婦人会委員会
・17日(土)本日の食堂準備、韓国語教室
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◎2017年2月4日(日)礼拝

・新しい一週間の始まりの日、皆さまと共に礼拝を守ることができました。
・礼拝後、「多様な生き方について考える」のテーマのもと、
 婦人会・壮年会合同例会が行われました。
・礼拝後、交わりの会の打ち合わせを行いました。
・今週の祈祷課題は「信教の自由を守る日を覚えて」
 「一人ひとりの意思が尊重され、認め合える社会のために」です。
 覚えてお祈りください。


◎説教メモ「本物がきた」マルコによる福音書2:1〜12 金 鍾圭牧師

 イエスが様々な奇跡を行うことによってその名はイスラエル全土に広がった。その姿を一目見ようと大勢の人々が集まってきた。
 しかし、当時は奇跡を行うことが珍しいことではなかった。占い師、魔術師など、奇跡を行う者たちが存在していた。それにも関わらず、群衆の元に集まり、感じたのは今までと違う何かであった。
 本日の箇所では、律法学者とイエスの間に「罪を赦す権威」についての論争が起きている。イエスは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言った。律法学者はそれを見て神以外に罪を赦すことは誰も出来ないと思った。イエスは律法学者の考えを見抜き、中風の人の罪の赦しを宣言し、同時にその体を癒した。
 イエスはこの出来事を通して、自身が神であり、ユダヤ人が待ち望んでいたメシア(キリスト)だと示された。イエスこそが「本物」であることを世の中に宣言した場面であろう。
 イエスを救い主と信じる私たちは、偽物に惑わされることなく、本物である「キリスト」・イエスを信じながら歩んでいきたい。
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本日の礼拝
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CS礼拝
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婦人会・壮年会合同例会
◎2017年1月21日(日)礼拝

・寒い日が続いている中、主日礼拝を守ることができました。
・礼拝後、80週年記念誌委員会がありました。
・今週の祈祷課題は「互いを認める社会となるように」
 「痛みを抱える方々を覚えて」です。覚えてお祈りください。


◎説教メモ「耳をすませば」マルコによる福音書4:1〜9 仲程愛美牧師

新約聖書の時代に録音機器はない。人々は聞いたことを覚え、それを口伝していった。現代人が話を聞く時とは比較できない程のエネルギーを使っていたことだろう。それが日常であり、「聞く」ことに集中し研ぎ澄まされて、神経を注いでいたのだと思う。
聞という漢字は「門がまえに耳」の耳が中心の漢字だ。門の中にいても外の音が聞こえるという意味合いがあるが、古代人は、耳には微かな音で示される神の声を聞く働きがあると考えていた。聞くとは、もとは神の声を聞くことだった。人間はもともと、神の声を聞くために耳があった。神との対話の中で生かされているのが私たちなのだ。
イエスは神の言葉に注意深くあるようにと前置きし、種まきのたとえを語られた。聞くとはどういうことかをたとえで示された。だからこそ、「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉で締め括っている。
 イエスは「よく聞きなさい」と今日も私たちに語りかける。神の語りかけに耳を、心を研ぎ澄ませて向き合っていこう。


◎本日の聖句

そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
(マルコによる福音書1:9)

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◎2017年1月21日(日)礼拝

・皆さんと共に、一週間の始まりの日、主日礼拝を守ることができました。
・CSでは、豊中教会のCSスタッフ(2名)が訪問して下さり、共に礼拝を守りました。
・礼拝後、定例役員会がありました。
・病と戦っている友を覚えてお祈りください。


◎説教メモ「イエス親衛隊結成」マルコによる福音書1:14〜20 金 鍾圭牧師

親衛隊とは国家元首やそれに類する人の身辺警護をする武装組織を意味する。日本では他の意味として、80年代にアイドル産業が頂点を極めるに伴い、各アイドルを応援する「親衛隊」も生まれ始めた。彼らが盛んだった時期には「連合」などを結成し、何千人も活動していたが、アイドル冬の時代の影響で彼らの姿も見なくなった。
イエスは活動を始めると同時に、弟子たちを招いた。最初は数人だった弟子が、12弟子になり、最後には何千人まで増えた。彼らの中にはイエスの教えに影響を受けた人もいる一方、政治的な問題解決のため、イエスの弟子になった人もいる。それぞれが違う目的でイエスの弟子になった。まるで彼らはイエスの親衛隊的な存在であった。
だが、一体この弟子たちの中で何人がイエスの十字架の苦難を見守っていただろうか。自分の理想の姿、偶像(アイドル)としてイエスについて来た者たちはどこで何をしていたのか。イエスが弟子を招いたその意味を考えていきたい。
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◎2017年1月14日(日)礼拝

・1月誕生者を覚えて、子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・礼拝中、1月の誕生者・新成人祝福祈祷を行いました。
・礼拝後、お餅つき、CSスタッフ会がありました。
・先日大切な姉妹が天に召されました。
 ご遺族の方の上に主の慰めがありますようお祈りください。

・インフルエンザが流行っています。どうか、お気をつけてください。


◎説教メモ「私は〇〇です」マルコによる福音書1:9〜11 仲程愛美牧師

 神の子イエスは、同時に人間でもあった。どちらの身分も証明したのが、イエスが洗礼を受けた出来事なのだ。人々と共に歩み罪を背負うことを、公の活動に入る前に示されたのは、自分が何者であるかを明確にするためだ。
 洗礼は自分の思いや決心で決めるものではない。全ての人に与えられている神からの招きだ。イエスは神の招きを受けとめた。全ての人に開かれている神の招きを見失わずにいたい。
 自分が「誰」であるかを説明するのは実は難しいことだ。私が「わたし」であることを証明するには、自分が何者であるかを明確にしなくてはならない。招きに応える者として、イエスのように、神を共に歩むことを受けとめていきたい。
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◎2017年1月7日(日)礼拝

・2018年の最初の主日を子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
 感謝です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
・共に聖餐にあずかる喜びを与えられました。
・来週は礼拝後お餅つきをします。どなたでも、どうぞご参加ください。


◎説教メモ「いるべき場所」ルカによる福音書2:41〜52 金 鍾圭牧師

 過越祭を守った後、帰路に着いていたイエスの両親は、群の中にイエスがいないことに気づいた。急いでエルサレムへ引き返した両親は、神殿の境内で学者たちと話しているイエスを見つけた。心配した母にイエスは、自分が「父の家」にいることは当たり前なのに、どうして捜したのかと言っている。神の子として、救い主として、イエスがいるべき場所は「父の家」=神の家であった。
わたしたちはいつも神を探している。時には「なぜ応えてくれないのか」と神に不満を訴えることもあろう。自分がこんなに苦しんでいるのに、神はいったい何処にいるのだと。しかし、神はいつもいるべき場所に居られる。わたしたちの側に。ただ、わたしたちはこの事実に気づいてないだけ。
イエスは神の子として神の家にいた。神はわたしたちを守って下さる方。神がいるべき場所は他でもない、わたしたちと共に居られる。これはまさにわたしたちにとっては喜び溢れることであろう。このような喜びを思いながら2018年の新しい年を歩んでいきたい。
◎2017年12月31日(日)礼拝

・2017年の最後の日、主と共に礼拝を守ることができました。感謝です。
 多事多難の一年でしたが、新しい2018年も主のお導きの中、歩むことができますように。
 この一年間、ありがとうございました。良いお年を!
・礼拝の中、子どもへのメッセージがありました。
・2018年1月1日(月)午前11時から元旦礼拝です。


◎説教メモ「待ち望んでいたはずなのに」マタイによる福音書2:1〜12 金 鍾圭牧師

 映画「モントリオールのジーザス」は、ある信念を貫いている無名の若き役者ダニエルを、現代に現れたイエスとして象徴的に描いている。不慮の事故で脳死の状態に陥ったダニエルは、奇跡的に生き返った後、イエスのように世の中に対して叫び始めた。しかし、人々はその叫びに目と耳を閉じてしまう。
 彼は再び脳死になり、回復の見込みがないと判断した友人たちは、ダニエルの臓器移植を行うことにした。これによって大勢の人々に新しい人生を与えることになる。それがダニエルや友人たちの世の中に対する「希望」の光だった。映画は人間らしさを失った社会の一面を描くのと同時に、世の中は何を求めているのかを問い返している。
 メシアを待ち望んでいた当時のユダヤ人、特に権力者たちは突然のメシア誕生に難色を示した。彼らが求めていたメシアなのに、イエスを拒否した。
 イエスの誕生は私たちにとって希望の知らせである。その希望を持ちながら立ち上がって新しい年を迎えていきたい。
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