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アクア混成合唱団
◎2019年8月18日(日)礼拝

・子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・この世の中に、キリストの正義と愛が実現されますように。
・礼拝後、被災地復興のためのチャリティーコンサートが
 アクア混成合唱団により行われました。
 集まれた募金は被災地へ送金いたします。


◎説教メモ「互いに思いを一つに」ローマの信徒への手紙12:9〜21 金 鍾圭牧師

 本書に記されている「互いに思いを一つに」という言葉は、とても素敵な一言である。出身や背景が異なる者たちが集まり、同じことを目指し理想を夢見る。一方で「思いを一つに」の裏に隠れている現実的な重さを看過してはいけない。重要なのは、「何の思い」を一つにするかだ。私たちは、聖書や歴史を通して「思いを一つに」した様々な出来事を知っている。
 旧約聖書の「バベル塔」の物語では、同じ言葉を使っていた人々が、神に近づくため、強大な塔を建設したことが記されている。神はこの様子を見て、彼らの言語を混乱させ、彼らを全地へ散らされた。思いを一つにした傲慢な人間の代表的な出来事である。
 思いを一つにすることは素晴らしいが、その思いの中身について、私たちはいつも警戒しなければならない。
パウロは9節を通して偽りのない愛を持つことを強調している。自分たちの命を狙う敵までも、キリストの愛を用いて対応する重要性を主張しているのだ。
 キリストが私たちに示された愛を、私たちもこの世に行うことが出来るように歩んでいきたい。
◎2019年8月11日(日)礼拝

・8月にお生まれになった方々を覚えて、
 子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
・予定していたそうめん流しは、延期となりました。
 詳しい日付については、後ほどお知らせいたします。
・礼拝後、役員会がありました。
・石橋教会の8代目牧師であった丹誠牧師が8月5日天に召されました。
 ご遺族の方の上に、主の豊かな慰めがありましように。


◎説教メモ「みんな同じ」使徒言行録15:1〜11 金 鍾圭牧師

 エルサレム会議は初期キリスト共同体に大きな転機をもたらした。パウロによる異邦人への伝道が進み、その影響により非ユダヤ社会の人々がキリストを信じるようになっていた。喜ぶべきことである。
 しかし異邦人はある問題に直面する。ユダヤ人が、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われないとの偽りの教えを広めたからだ。パウロたちはこの問題について協議するため、エルサレムに派遣されたのだ。
 会議では、この議題のために激しい論争が繰り広げられた。中々意見がまとまらず、膠着状態が続く中、ペトロは立ち上がり語った。神はユダヤ人と異邦人は同じ存在であり、すべての人々がキリストの救いの対象であると示されていると。以降、パウロの証言、ヤコブの言葉により、エルサレム教会は異邦人が割礼を受けていなくても、神の救いの恵みを受けることができると決めたのである。
 この大きな転機により、キリスト教は益々広がっていった。互いを認め合い、向き合うことによって行われた初期キリスト共同体の偉大な出来事である。
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◎2019年8月4日(日)礼拝

・平和聖日として子どもと大人が共に礼拝を守ることができました。
 この世の中で、真の平和が訪れますように。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。
・次週の礼拝後、そうめん流しを行います。ご参加ください。


◎説教メモ「復讐って、何のお得もない」ルカによる福音書6:27〜36 金 鍾圭牧師

 国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味する。しかし、国際平和秩序はあくまでも国家間での平和の維持を共通目標とするのにとどまり、各国の国内の人民の安全まで保障しようとするものではなかった。そのため、各国内での人道的危機が国際社会から見放されてきたのではないかという問題も指摘され、人間の安全保障と平和の両立が課題となっている。つまり「平和」という課題は時代によって変わっていくのである。
 イエス・キリストの「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」という言葉は、抽象的であり遠く感じる「平和」を、身近な存在の「平和」として表している。真の平和は、支配者たちが勝手に決めるのではなく、「私から始まるのだ」という認識が必要な時代になったのである。
 互いに理解し合い、向き合うことによって真の「平和」が実現される。復讐が蔓延しているこの世の中で、何の得もないことをせず、共に歩んで行こう。遥か彼方の平和ではなく、私たちのすぐ側にある平和を目指して…。
◎2019年7月28日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・礼拝後、礼典コア会、共育コア会が行われました。
・26日(金)〜27日(土)箕面教会とCS合同キャンプが
 関西学院千刈キャンプ場にて行われました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。


◎説教メモ「歩むべき道」ガラテヤの信徒への手紙6:1〜18 金 鍾圭牧師

 異邦人のための使徒と呼ばれたパウロは生涯3回に渡り伝道の旅に出た。呼び名の通り、活動の舞台はエルサレムやユダだけでなく、サマリアを超え、地の果てに至る異邦人のいる地域であった。パウロは必要に応じ数日から数年の間、同じ場所に滞在しキリスト共同体を育てた。イエスが仰ったように「収穫は多いが、働き手が少ない」状況の中でパウロは奮闘した。
 その中で生じた問題が、キリスト共同体が成熟する前に、パウロがその地を去らなければならないことだった。これによりある共同体では、ユダヤ人キリスト者が入り込み、異邦人キリスト者を惑わした。「ユダヤの律法を守るべき」「割礼を受けない者は、救われない」と教えたのである。
 パウロは手紙の中(6章15節)で「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」と語り、キリストを信じる信仰によって生きる大切さをガラテヤ共同体、そして私たちに話しかけている。私たちが歩むべき道は何か…。探ってみよう。
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CS礼拝
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CSキャンプ旗
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◎2019年7月21日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・CS礼拝(子どもの礼拝)では、柴山真理さんによって
 パウロのお話を伺いました。
・礼拝後、定例役員会が行われました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。


◎説教メモ「眠くても、落っこちても」使徒言行録20:7〜12 仲程愛美牧師

 もうダメだと思う時がある。特に自身の手には負えない事柄を前にすると、人は諦め、断念し、望みを捨てる。一概に悪いことではなく、己の限界という意味では、諦めが肝心だということも納得がいく。だがそれは人間の思い、感性だ。
 パウロは夜通し語っていた。出立を前にして、その語りに熱が入ったのか「話が長々と続いた」と聖書は記す。集まっていた一人の若者は、眠りこけ3階から落下し命を落としてしまう。パウロはすぐさま降りていき、彼を抱きかかえ「生きている」と宣言する。そして何事もなかったかのように、パンを裂き皆で食し、語り始めた。
 極端な言い方だが、眠気に襲われようとも、命を落とそうとも、神の言葉は語られ、主の恵みは分かち合われる。私たちに対する神からの呼びかけは中断することがない。それは人間の限界、絶望の先に備えられている神からの慰めであり、希望なのだ。
 私たちの歩みには中断はあるかもしれないが、神の招きは何があろうと続くのだ。
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◎2019年7月14日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・7月にお生まれになった方々を覚えて、
 子どもと大人が共に礼拝をささげました。
・礼拝後、CSスタッフ会が行われました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。


◎説教メモ「律法より大事なことは」使徒言行録11:4〜18 金 鍾圭牧師

 ペトロがコルネリウスと出会った出来事は、ユダヤ人キリスト者たちにとって衝撃だった。コルネリウスはローマ軍の百人隊長であり、これが意味するのは、彼が異邦人であることだからだ。当時ユダヤ人は幼い頃から「異邦人とは関わるな」と教えられてきた。その中で育ったユダヤ人はキリスト者にも関わらず、ペトロが行った事を理解することは出来なかったのだ。
 ペトロ自身も神と出会った幻に拒否感を抱いていた。律法で定められているように、食べてはいけない物を「食べろ」と命じた神の一言は、彼の文化・慣習を否定する事であったからだ。
 異邦人にも聖霊の働きが臨在したこの出来事は、キリスト教共同体に大きな転機をもたらすこととなった。ユダヤ人のみならず、誰もがキリストの救いの対象である事を改めて知ることになったのだ。
 律法は厳しい掟ではなく、人を生かす恵みである事を忘れてはならない。キリストがこの世に来られたことは戒めを強調するためではなく、私たちを救い、愛と赦しを与えるためである。律法より重要な事を私たちは既に教えてもらった。この大事な思いを心に刻みながら歩んでいきたい。

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CS礼拝
◎2019年7月7日(日)礼拝

・主の日の礼拝をささげることができました。
・礼拝後、管理コア会を行いました。
・7月から9月まで「本日の食堂」のうどんはお休みとなります。
 替わりに隔週でおにぎりとサンドウィッチとなります。
・午後に総年会・ぶどうの会の合同例会が行われました。
 「未来について」をテーマに教会の学びの時をもちました。
・西日本豪雨から1年が経ちました。被災された方々を覚え、
 祈り続ける私たちでありたいと思います。


◎説教メモ「寂しい道の先に」使徒言行録8:26〜40 仲程愛美牧師

 エチオピア女王の高官は、聖書を熱心に読み、エルサレムに赴き礼拝に参加するほど、神への思いは揺るぎないものだった。だが、どれだけこの高官が熱望しようとも、神の教えの核心に触れることはゆるされなかった。宦官でありエチオピア人の高官は、その両方を理由に神殿(伝統的教え)からは受け入れ難い存在だったのだ。帰途についていた高官の心は「寂しかった」のではないだろうか。
 フィリポは天使の導きで高官と出会う。神は求める人に応えられ、出会いを通して教えられる。神を知る、聖書に触れるとは、決して一人の力、働きだけではなし得ないことに気づかされる。フィリポは用いられ、遣わされ、高官は気づき、教えられる。この2人に起こった出来事は「神との出会い」となって実を結ぶ。高官はこれまでの聖書や神の理解の限界を超え、寂しい道から喜びの道へと導かれた。
 寂しい道での出来事は私たちに驚きをもたらす。神は様々な背景を抱えた人々に、様々なかたちで出会われる。そのために私たちは遣わされていることを覚えていたい。
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CS礼拝
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全体集会
◎2019年6月30日(日)礼拝

・共に祈り、賛美を歌い、聖書を学ぶことができました。感謝です。
・CS礼拝では、柴山文男さんからお話をいただきました。
・礼拝後、「祈りについて」のテーマのもと全体集会がありました。
・本日の食堂は壮年会の担当でした。市販の「あれ」を用いて
 昼食をいただきました。お疲れ様でした。
・病と闘っている友を覚えてお祈りいたします。


◎説教メモ「キリスト・イエスの名によって」使徒言行録4:5〜12 金 鍾圭牧師

 キリスト教の歴史において数多くの宣教師たちは「マタイ28:19、20」「使徒1:8」にあるイエス・キリストの御言葉を受け継ぎ、世界各国でキリストの名を伝えて来た。その中には、様々な宣教的戦略があったが、多くの地で用いられたのが医療である。先進医療を土着の人々に伝え、彼らを助け、キリスト教へと導く。この一連の流れが、一般的な宣教活動の業であった。
 日本も16世紀頃、京都の蛸薬師通室町西入に南蛮寺が建てられ、大規模な医療活動が行われた。しかし、純粋な活動が行われただけではなく、その裏には欧州の列強がキリスト教を利用し、自分たちの利益のため悪行を行った負の歴史も存在している。
 宗教を用いて暴挙を振るうことは歴史の事実であり、私たちが反省すべき点ではないかと思う。その上でペトロの信仰告白(4:10〜12)が、キリスト者として歩む私たちに大きな意味をもたらすだろう。
 当時イエスの弟子たちは、自分の利益のために癒しを行った訳ではない。キリスト・イエスの名を宣べ伝えるためだった。この純粋な心を胸に刻んで歩んでいきたい。

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